今回は国際多肉植物協会の会長である小林浩さんへのインタビュー記事第2弾です。
国際多肉植物協会(I.S.I.J)の小林浩会長にインタビューをしてきました。インタビューの内容は小林浩会長の多肉植物に対する想いと国際多肉植物協会の発足から未来についてです。
今回は国際多肉植物協会の発足から未来についての記事です。
国際多肉植物協会(I.S.I.J)の前身について
多肉植物に魅せられた国際多肉植物協会(I.S.I.J)の小林浩会長は、同じ趣味の人たちとのつながりを求めました。
現代は人とのつながりをインターネットで簡単に持つことができます。しかし、
国際多肉植物協会(I.S.I.J)の小林浩会長の時代(1950~1960年代頃)にはインターネットがありませんでした。そのため、人づての紹介や、園芸店での出会いからつながりが生まれました。
多肉植物趣味の会として
友人の男庭(おにわ)さんと一緒に30人限定で日本多肉植物趣味の会を発足しました。
小林浩会長と男庭(おにわ)さんとが30人限定とした理由は、自宅の一室に集まるため、大人数でも困るし、少なすぎても寂しいからです。
当初は30人限定で始めた日本多肉植物趣味の会は 、どんどん人数が増えました。増えるにつれて自宅に集まることが難しくなりました。
インターネットがない時代に同じ趣味を持つ人を30人以上集めるのは簡単にできそうにありません。きっと小林浩会長の人脈だからこそなせたことなのだと思います。
1970年代(小林浩会長が30代の頃)の多肉植物
1970年代は1ドルが360円ととても円安でした。そのため、多肉植物を海外から輸入する人が少なかったです。多肉植物ではなく、国内にあったサボテンをメインに育てている人が多かったです。
つまり、サボテンが有名で多肉植物は無名という時代でした。今とは全く反対の時代でした。
無名の多肉植物は育てている人が少なく、情報も少なかったです。このことは 日本多肉植物趣味の会でもいえることでした。
この時代は多肉植物を総称して”葉っぱ”と呼ぶ時代でした。
日本多肉植物の会の発足
現在のNPO法人日本多肉植物の会の前身となる、日本多肉植物の会を発足しました。
趣味の会ではサボテンがメインで扱われていました。そのため多肉植物をメインで扱う会にする目的で、日本多肉植物趣味の会を発足しました。
日本多肉植物の会での役職
小林浩会長は国際多肉植物協会(I.S.I.J)での役職です。日本多肉植物の会では編集を担当していました。
編集として、会報誌に記事を寄稿をメインにおこなっていました。
国際多肉植物協会(I.S.I.J)について
発足について
日本多肉植物の会とは異なる国際的な活動を始めたいと思い、国際多肉植物協会(I.S.I.J)を発足させました。
国際多肉植物協会(I.S.I.J)は日本多肉植物の会から独立して立ち上げた会のため、当初は10人くらい集まればいいと思って始めました。
しかし、実際初めて見ると40~50人もの人たちが集まりました。
会員について
40~50人で始めた国際多肉植物協会(I.S.I.J)は現在では、増加し続けています。その数は750名ほどです。750名には海外の会員が100名くらい含まれています。
最近は多肉植物ブームの影響もあり、若い年代と女性の会員が増えています。
趣味の会で常時1000人を超える会員数を保つことは難しいと言われているが、それを目標にしています。
今後について
多肉植物を趣味とする愛好家や生産者にとってここまで名を馳せている国際多肉植物協会(I.S.I.J)は小林浩会長の人柄と人脈が大きく影響しています。
会長職にこだわりはないので、いつでも引退をしようと思っています。小林浩会長の引退後の会長はみんなで決めればいいとも思っています。
小林浩会長は国際多肉植物協会(I.S.I.J) に会則がなく、趣味の会なのだから、重圧を感じることなく、自由に決めてほしいと願っています。
インタビューを終えて(編集後記)
小林浩会長に感謝
インタビューを快諾してくださった小林浩会長に感謝いたします。日本多肉植物の会と国際多肉植物協会の発足についての歴史を知ることができました。
歴史を知ることで現在を知ることができましたし、未来とつながるような気がしました。
多肉植物ブームについて
”たにある”が誕生したのも昨今の多肉植物ブームがあるからです。小林浩会長はこの多肉植物ブームはまだ続き、さらに多くの品種が生み出されるのではないかとおっしゃっていました。
多肉植物がブームになる理由としては、
- 現在の住宅事情
- 植木を植える庭がある家は少ない。
- ベランダで育てられるサイズとして適している。
- 若い人の感性
- おしゃれで見た目にこだわる。
- 訴えかけることができる。
とのことでした。
多肉植物ブームは続くが・・・
今後も多肉植物ブームは続いて多くの品種が誕生するかもしれないが、選ばれて今後残る品種は限られるのではないかともおっしゃっていました。
現に、七宝樹(しっぽうじゅ)が若い人たちに人気があります。七宝樹(しっぽうじゅ)は昭和の時代から存在していました。
そのため、小林浩会長にとってはなんで今更七宝樹(しっぽうじゅ)が人気になるのかが理解できないようです。
しかし、 七宝樹(しっぽうじゅ)を初めて見た方はあのきゅうりのような株に新鮮を感じます。
多肉植物ブームにおける”たにある”
いつ、だれが、どんな品種を、どのような思いで誕生させたのかを記録に残したいです。
そして、これまでの多肉植物の歴史を先人から得て後世に伝えることができれば本望です。
国際多肉植物協会(I.S.I.J)の記事はこちらです。